神経疾患モデルの作成
本研究室は、マーモセットに外来遺伝子を導入することに世界で初めて成功し、大きな話題になりました(図)。私たちは、この技術を応用して様々な神経疾患モデルマーモセットの作成を行っています。マウスではなく、霊長類であるマーモセットを用いることで、よりヒトに近いモデル動物を作成することができます。このような動物を使って、今までマウスではできなかった、複雑な行動の異常や病気の発症メカニズムなどを研究し、治療法・予防法の開発に役立てたいと考えています。現在は神経変性疾患であるアルツハイマー病とパーキンソン病、神経発達疾患であるレット症候群、更に精神疾患として統合失調症のモデルマーモセットを作成しています。
アルツハイマー病モデルマーモセット
アルツハイマー病は神経変性疾患の中で最も患者数の多い病気で、今も 20 年間に2倍のペースで患者数が増えていると言われています。この病気では、脳の中にアミロイドが蓄積して神経細胞が次第に壊れ、やがて記憶力や判断力の低下など認知症の症状がみられるようになります。このため、患者さんの生活に介護が必要になることから、大きな社会問題になっています。
一部の家族性アルツハイマー病では、アミロイドの元になるAmyloid precursor protein (APP) 遺伝子に突然変異があり、これがアルツハイマー病の原因になっていると考えられています。このような変異型 APP 遺伝子などを使ってモデルマウスが現在までに数多く作成され、研究されています。しかし、マウスでは部分的にしかヒトでの病態を再現することができず、マウスを用いた研究には限界があります。私たちは、この変異型 APP 遺伝子をマーモセットに導入することで、よりヒトの病態に近いアルツハイマー病モデル動物を作成し、この病気の克服に役立てたいと考えています。
パーキンソン病モデルマーモセット
近年、家族性パーキンソン病の原因遺伝子が複数同定されたことを受けて、世界中で遺伝子改変パーキンソン病モデルマウスが作成され研究に用いられています。しかしマウスのモデルには、パーキンソン病の患者さんにみられる典型的な神経症状が出現しないため、新しい治療法の開発を目指した研究には不向きでした。私たちは、これまでに確立したレンチウイルスによるトランスジェニック法を適用して、ドミナント・トランスジーンの導入によるパーキンソン病モデル動物の作出を目指しています。ヒトの神経疾患の生物学的基盤の研究に遺伝子改変霊長類モデルを使用することができれば、そのインパクトは極めて大きいでしょう。
私たちは、遺伝子改変マーモセットがヒト神経疾患の研究における画期的ブレークスルーの鍵を握っていると確信しています。
レット症候群モデルマーモセット
レット症候群(Rett syndrome)は1966年にオーストリアの医師Andreas Rettによって最初に報告された主に女児の神経発達障害で、1万から2万人の女児あたり1人の罹患率で、女児の精神発達遅滞の原因としてはダウン症候群に次いで二番目に多いことが知られています。レット症候群の患者さんには、生後6か月から18か月の無症状期間を経た後、脳の成長の遅れ、自閉症特有の無意味な手の動きや、言語習得の欠如、知能発達遅滞、呼吸異常、てんかんなどの多彩な症状がみられます。1999年に 原因遺伝子としてX染色体上のmethyl CpG binding protein 2(MECP2)遺伝子の変異が発見され、その後、疾患モデルとして複数のMecp2ノックアウトマウスが作製されました。モデルマウスを用いた研究によってレット症候群に関する新たな分子生物学的知見が明らかになってきましたが、レット症候群の本質は高次脳機能の障害であるため、げっ歯類モデルでは解析に限界がありました。そこで我々は、遺伝子改変技術を用いてレット症候群モデルマーモセットを作製し、今まで解析が困難だったレット症候群の高次脳機能障害のメカニズムを解明したいと考えています。
統合失調症モデルマーモセット
統合失調症は、性別を問わず人口のおよそ1%に認められ、遺伝的要因と環境要因の双方が発症に関わると考えられている精神疾患です。幻覚や妄想などの陽性症状、感情の平板化や社会的引きこもりなどの陰性症状、集中力の低下や記憶力低下などの認知機能障害が主要症状で、薬物療法をはじめとする種々の治療法が存在するものの、未だ根治療法がないため一般社会からの撤退を余儀なくされることも稀ではありません。近年、遺伝学的解析よって統合失調症の発症関連した遺伝子が発見され、疾患モデルマウスを用いた研究が盛んに行われるようになりました。しかしながら、げっ歯類の行動表現型がヒトの行動表現型とかけ離れたものであるために、げっ歯類の統合失調症モデルは、プレパルス抑制や潜在抑制の障害等を表現型として解析されてきました。残念ながらこれらは統合失調症に特異的な所見ではないうえ、統合失調症が精神症状の存在を以てはじめて診断されるものであるために、げっ歯類モデルを用いた研究では精神症状と病態生理の関連性を調べるのに限界がありました。そこで、我々は遺伝子改変技術と環境条件を組み合わせて、よりヒトに近い統合失調症モデルマーモセットを作製し、分子レベルから個体レベルまでの包括的な解析を通じて統合失調症の病態解明を目指しています。
