軍人
俺の友人に軍人がいる。そいつは某軍人養成学校を卒業した男で、今や少佐にまでなった。100人の部下を意のままに動かすことができると豪語している。
俺がその軍人に出会ったのは中学のときだった。奴の肉体は完璧だった。全身は筋肉の鎧で覆われていた。肩の筋肉は盛り上がっていたし、腹筋も当然のように割れていた。角刈りの上に、顔は骨ばっていて、目は大きく、唇は分厚かった。
「昨日、柔道と空手の達人をしばいてやったわ」
そもそもどうやって喧嘩した相手が「柔道と空手の達人」だとわかったのだろう?「達人」の定義というのなんなのだろうか?
俺らが通っていた学校の大先輩に日露戦争の日本海海戦の参謀である秋山真之がいる。「智謀あふるるがごとし」と言われた天才参謀秋山真之を軍人は尊敬していた。秋山が卒業した学校に行っている自分と心の中でだぶらせてもいたようだ。だが、この男の凄まじさは秋山を超えていると言えよう。
俺が軍人に出会ったころのことだ。数学かなにかの授業中だったと思う。俺の真後ろに軍人は座っていたが、いきなり机が倒れる音がして振り向くと軍人のとなりに座っていた奴に馬乗りになって殴っていた。
「やめろ」
と教師に止められても殴り続けたが、飽きたのか5分ほどして止めた。
「お前なんで殴ってたの?」
と俺は聞いた。
「わしはけしごむのかすをあいつの机の上に捨てただけだ。それで怒ってわしに文句言ってきたからしばいてやった」
と自供した。どう考えても軍人が悪いのは明らかだ。例えて言えば、産業廃棄物を隣国に捨て、注意されたから切れて侵攻したようなものだ。そして勝った。ちなみに殴られたやつは今裁判官になっている。この経験が彼の正義に対する意識を変えたのは間違いないだろう。軍人も意外なところで人の役に立っているのかもしれない。
あるとき俺は同じ学年の奴らを100人ほど集め、そいつらが見守るなか3階のベランダから平屋建てのとなりの建物の屋上まで飛んだ。横の距離にしたら結構あったと思うが、高さの差のせいかぎりぎりで着地することができた。すさまじい拍手喝采だったのは今でも鮮明に覚えている。意味がある行動ではない。自分を誇りたかった。ただそれだけのことだ。俺は一時的だが英雄になった。
だが、この行動が軍人の心に火をつけた。きっとしばらくこのことが頭から離れなかったのかもしれない。あるとき俺は軍人と屋上で語りを入れていた。3階建ての建物の屋上だから、高さにしたら4階に相当する。ひょんなことから、俺が飛んだときの話になった。ひょっとしたら俺は、
「てめえには真似できねえよ。」
くらいのことを言っていたのかもしれない。忘れていた悔しさが軍人を衝動的な行動に走らせた。奴はおもむろに立ち上がると、いきなり4階の高さの屋上から飛び降りた。
「まじかよ」
心の中でそう叫んだ。すぐにかけよって下を見た。まだ落下している途中だった。頭が下にあった。そしてそのまま頭から着地した。
「死んだか」
と諦めたが、5秒後には、
「痛ええ」
といいながら立ち上がり、なにもなかったかのように屋上まで戻ってきた。恐ろしいことに無傷だった。そして誇らしげに、
「どうだ」
と言い放った。「どうだ」も何もないだろう。普通ならこれは飛び降り自殺だ。それに俺が飛んだのは1階分の高さだけだ。それもそれなりに冷静に距離を計算した上で100%の勝算があったから飛んだのだ。しかし、軍人には計算もなにもない。ただ4階の高さから地面に飛び降りただけだ。そこにあるのは気合だけで、智謀のかけらも存在してなかった。ただ、誇りたかったのだ。俺のように英雄になりたかったのだ。ちなみに軍人のダイブを見ていたのは俺だけで、したがって拍手喝采もなかったし、英雄にもならなかった。しかし俺だけはわかっている。俺は軍人の足元にも及ばない。俺は4階からは飛べない。
学業に関しても負けず嫌いだった。
「XX大学の試験で300点満点で298点とったのに落ちとった。むかついたからその大学の事務局に問い合わせの電話をしてやったが、ごまかしとった。」
と悔しそうにぼやいていた。俺は、
「その300点満点のうち298点とったっていう根拠はなに?」
と聞いた。軍人はさらっと、
「手ごたえだ」
と言ってのけた。
別の大学を受けたときには、受けた瞬間に合格を確信し、その日のうちにアメリカンフットボール部に仮入部まで済ませた。だが、不覚にも駄目だった。
「こんどあの大学を砲撃してくれる。」
と当時息巻いていたが、人間力が強大になった今となってはもうどうでもいいことのようだ。
数多くの有名大学に合格したが、軍人はすべてを蹴って念願の軍人養成学校に入った。これほど適材適所ということもないだろう。時折聞く軍人養成学校の話もとにかく凄まじかった。
その学校の演習の一つにこういうものがあるそうだ。100人くらいの人が二手に分かれる。半分がレーザーポインターのようなものを持って砦からそれを撃つ。もう半分が体にレーザーのセンサーをつけて砦に向かって走っていく。センサーをつけて走っていくほうはセンサーがレーザーに反応したらその場で倒れる。レーザーに当たらないように砦にいけばゴールだ。
「いったいなんの演習なんだよ?」
と尋ねたら、
「運と勘を鍛えるための演習だ」
と答えた。勘を鍛えるのはまだ分かるが、運は鍛えられるものなのだろうか? そこは俺の想像をはるかに超えた世界のようだ。
養成学校の文化祭に行ったことがあった。基本的に男しかいないため、そういう文化祭のような機会で生徒は彼女を作ったりするらしい。それが目的かどうかはわからないが、生徒のプロフィールがあちこちの壁に張ってあった。基本的に写真と趣味などの記述で構成されていたように記憶している。はじめは特に気にもとめなかったが、一つのプロフィールに目を奪われた。まず写真がすごかった。髪の毛はパンチパーマで、異常に開かれた目にはこちらを食い殺さんばかりの殺気に満ちていた。
「趣味:気合」
「役職:特攻」
俺は軍人に聞いた。
「こいつ、やばくねえ?」
軍人は、
「あまり関わらんほうがいい。」
とだけつぶやいた。あの軍人がここまで言うのだ。よほど恐ろしい男に違いない。趣味が気合の男。そして謎の役職「特攻」。ここには鬼をも食らう羅刹が住んでいるらしい。
他にもいろいろ恐ろしい話を聞いた。横須賀から東京まで70キロの距離を夜通し歩いたり、スキーに行くのはいいが、リフトを使わず歩いて山に登ったりとか、とにかく気合の世界だ。趣味が気合になってしまうのもなんとなくわかるような気もする。
大学を卒業してしばらく軍人に会っていなかった。今から4年くらい前に久しぶりに会ったときには度肝を抜かれた。あの鎧として使われていた筋肉はさらに巨大になり、体積自体も数倍に肥大していた。体重自体も相当増えたに違いない。軍人は世界制覇のためについに肉体改造に成功したのだ。しかしいくらなんでもこれは鍛えすぎだ。体重増加が肉体に与える負担のせいか、「フーフー」という鼻息が常時聞こえた。普通に考えたら息が苦しいからのはずだが、俺にはそうは思えなかった。体に充満する闘気を抑えることができず体からもれ出ているようだった。
「最近どうよ?」
「フーフー、そろそろ海外に留学しようと思ってな。わしも見聞を広めんといかんからな。」
「どこに留学するんだよ?」
「フーフー、ソ連だ、フーフー」
「ソ連なんてもうねえよ。」
「フーフーフーフー」
すでに存在しない国への留学を夢見る軍人。なんという気合だろう。そしてこの気合の集積こそが体からあふれでる闘気なのだ。だが忘れてはならない。すべては国防のためなのだ。われわれ国民が枕を高くして眠ることができるのもその闘気のおかげなのだということを忘れてはならない。
夢にまで見た「ソ連」留学が本当に夢であったことに気づいた軍人はついに暴発した。
「わしこの前タクシーで京都から東京まで帰ってきたわ。44万円もした。」
どうも法事があって京都に行ったはいいが、新幹線の最終が終わってしまったらしい。だが軍人は翌朝に大事な軍事会議があったそうで東京に戻らないといけなかったそうだ。そうしたら親戚連中が、
「少佐ともあろうものが、タクシーで東京まで帰らんでどうする。これでその辺でタクシーひろって帰れ。」
と50万円も渡したらしい。軍人は早速道でタクシーをひろった。
「東京まで」
「え?どちらの東京ですか?」
どうもタクシーの運転手は京都にある「東京」という名前のクラブかなにかだと思ったらしい。だが、埼玉に住んでいる軍人は、
「東京の埼玉だ。」
と言ったそうだ。軍人の世界地図には「ソ連」があるだけでなく、東京都の中に埼玉があるようだ。そこは軍人の夢の国。
それにしても凄まじい男だ。俺のような凡人にはすべてが夢か幻としか思えない。一人の漢として我もかくありたいと思う。だが俺にできることははったりをかまして真似することぐらいだ。
それでも俺はやるだろう。
念じていればはったりも真実になる。かもしれない。
